共産圏の国ソ連領、黒海を望む≪十月十日≫ ―壱―政雄「オイ!行かないのかい?」 政雄の声に、夢から覚めた。 ”明日は、ボスポラス海峡を登ってみるよ。”と言っていたことを想い出し、慌てて支度をする。 Simbo君の情報では、一人7.00TL(≒160円)で、4番窓口でチケットを購入する事だった。 これだけ知っていれば何とかなる・・・・そうたかをくくっていたのが、間違いの元となった。 早速、Simbo君に教えられたとおり、4番窓口に行くが”Closed!”。 ”そうか、今日は日曜日か!” いろんな人に聞いて回るが、どれもこれも要領を得ない。 それでも何とか、1番窓口で扱っているかも知れないという情報を掴み、1番窓口に行ってみるが、・・・また誰もいない。 出発が12:00だと言う事も、どうやら間違いだったらしい。 平日と日曜日では、時刻も窓口も違っている事は良くある話だし。 なんだか・・・わからなくなってきたぞ。 少し落ち着こう。 成る様にしか成らないんだから。 近くで釣りをしている子供達と一緒に、海を覗き込む。 12:00になって、”もう出発時間も過ぎたし・・・ダメだ!こりゃ。”と思いながらも、窓口の方を見る。 なんと、十数人の行列が出来ていて、チケットを売り出しているではないか。 これは、どういうことなんだ。 半信半疑で窓口に近寄り、並んでいる現地の人に聞いてみた。 俺「Do'es This ship go to ”Black Sea”!」 うん。 どうやら、この船らしい。 しかし、この時点ではまだこの船が、まさかリターンしてくるとは思いもよらなかった。 行列に並んだ。 チケットは、一人3.5TL(≒80円)。 Simbo君に教えてもらった7TLの半分ではないか。 このフェリーが現地の人達の足代わりになっているという事に気がついたのは、あっちこっちの船着場に立ち寄りながら進みだしてからだった。 出航は13:45。 どうやら真相はこういうことだった。 *月曜から 土曜4番窓口 *日曜 1番窓口(10:30、13:45、16:00の三便) 俺 「この船は、Go and retarn back here?」 旅行客「Yes!」 30分前に乗り込んだ。 港には3隻停泊していて、俺が乗り込む船は、港から一番遠い所に停泊している船だった。 港が狭いものだから、三隻の船は全てが岸壁に停泊しているのではなく、沖のほうに順番に並んでいるのだ。 俺が乗る船は、一番遠い所に停泊しているもんだから、他の船を踏み越えて乗船しなくてはならなかった。 船自体は大きな船だ。 モウモウと黒煙が立ち上っている。 船は忽ちの内に満席状態。 立ち席まで出る始末。 日曜日だと言う事もあって、家族連れも結構多そうだ。 毛唐の旅行者も数人見つけて、少しは安堵したと言うところか。 船がゆっくりと、桟橋を離れていく。 アジアとヨーロッパを繋ぐ橋の下をくぐっていく。 アジア・ヨーロッパ両岸の小さな港に立ち寄りながら、ジグザグに乗客たちを降ろしては拾っていく。 まるで、各岸停船だ。 両岸は、対称的な景観を見せている。 アジア側は、赤と白の家並みが、緑の中に映えて美しく、ゆったりとした姿を見せているが、ヨーロッパ側を振り返ると、石で造られたゴツゴツとした家並みが、処狭しと建ち並び、複雑怪奇な景観になっている。 軍艦に遭遇する。 二隻並んだ、トルコ軍艦の脇を通り抜けていく。 その近くで、ソ連の商船が静かに錨を下ろしているのが見える。 そう、ソ連領はもうすぐそこなのだ。 船は実にゆっくりと、のんびりと進む。 波風を立てないように。 ソ連に見つからないように? これだけの短い距離を、実に三時間もかけて、最後の寄港地に到着した。 すぐ目の前には、海のような水平線何処までも続く、黒海が広がって見える。 そこがソ連国境なのだ。 国境らしく、黒海には霞みがかかっているようだ。 共産主義国家らしい雰囲気を醸し出している。 目の前に見えるトルコ領の小高い山には、古い城壁が見える。 城壁に据えられた大砲は、霞みがかかっている黒海の彼方のソ連領に向けられているのだ。 遠い昔からソ連を監視し続けてきたものだろう。 まだまだ、現役なのだ。 陸続きの国境を持たない我々日本人にとっては、国境と言うものがわかり難い複雑な思いがある。 * 国境の小さな港で全員下船。 一時間の休憩をした後、この船はリターンすると言う事らしい。 片道切符しか持っていない俺は、ここでまた切符を購入するはめになった。 港と言っても何もない。 四五件の店と、海峡に突き出すように、野外レストランがあるだけ。 下船した全員が、ここからどこかへ行くと言うわけでもなく、各々のんびりと食事を取りながら、リターンするまでの時間を過ごすのだ。 共産圏のすぐ近くで、静かな緊張感の中、ひそかな食事を楽しむツアーになっている。 せっかちな日本人と違って、実にのんびりと構えているのだ。 旅とは、こういうものなのだと思い知らされる。 パン一切れと魚のフライ四切れ、そしてコーラ。 これで、15TL(≒340円)。 往復のチケット代の二倍の値段だ。 このフライ、食えない。 ガラタ橋の美味しい魚と違って、小骨がやたらと多く、なんと鱗も付いているではないか。 半分は食い残してしまった。 五時半。 ソ連領を後にして、船はゆっくりと回転し始めた。 復路はトルコの青年と仲良くなり、話がはずんだ。 風向きの関係だろうか、停泊する度に、煙突からの黒い煙が、我々の頭の上を通り過ぎていくではないか。 デッキに座っている我々の上を、容赦なく黒い小さな墨が落ちてくるのだ。 下手をすると、真っ黒になりかねない。 しかし、乗客たちは誰も文句を言わない。 これが、当たり前だからだ。 これを承知で乗船している。 自分の意思で。 これが、自由と個人の責任を愛するヨーロッパだろうか。 途中、闇が迫ってくる。 両岸に灯りが灯る。 夜の海は想像以上に寒い。 夜はやはり、ヨーロッパ側のイスタンブールがいい。 丘の斜面に点在する窓の灯りが実に美しい。 アジアとヨーロッパを結ぶ橋が、仕掛花火のようで、浮き上がって見える様は圧巻だ。 その橋をくぐると、ガラタ橋が右手に見えてきて着岸する。 時計は午後8時半を指している。 実に七時間のゆったりとした遊覧船の旅を、満喫することが出来た。 出航する時、あんなに賑わっていた港周辺もガラタ橋周辺も、実にひっそりとした佇まいをしている。 あれだけの乗客たちは、どこへ消えてしまったのか。 帰りは、暗くなった港町を、トボトボと一人坂道を登るのだ。 ジャンル別一覧
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